› パイパティローマ › 琉球文学を読む2007年08月08日
「マブリの島」出水沢藍子を読む
今回の奄美群島の一人旅の帰り道、
奄美空港で買った文庫本、
それは奄美大島・龍郷町出身の作者、
出水沢藍子さんの小説でした。
「マブリの島」1998年新日本文学賞受賞作品
御嶽島(うたきじま)という奄美群島の島への、
主人公・杳子(ようこ)の、父親の13回忌に絡む、
亡き父の故郷、島帰りの物語です・・・
がらす(カラス)の行動・表情が実にリアルで、
”ドキッ”とさせられます・・・
東京のカラスとは異質の島環境だからこそ、
遭遇できる体験を、
風人も琉球弧の島々で体験したことがありましたし、
今回、カケロマ島や与呂島でも体験しました・・・・
もう、がらすの奴が飛んで来よって。
土手を人が連なれば、
葬式かと思うんじゃろでなあ、
なんでん。
勘の強い鳥じゃが。
先を歩く老人が、ゆっくりと顔を上げた。
アガン行キ、こらあっ。
アガン行キチバー。
島空間の人と鳥の濃密な関わりから、
この小説はスタートします・・・
風人はカケロマ島の道で、
急ブレーキをかけて軽四を止め、
車外に飛び出して、がらすを轢き殺したか?と、
”ドキドキ”しながら、車の直前を覗き込む・・・
何か獲物を啄ばんでいる、がらすの姿があり、
「良かったなぁ、生きてて」
道端のがらすに話しかけている風人でした・・・
土手沿いにソテツが葉を広げ、間を縫って潅木が茂る。日差しをたっぷり浴びるせいか、木の葉の1枚1枚は艶だしでも施したように光っている。・・・・・・・・・・・・・・・
ここには中間色など存在しないように、人々を取り巻く色は強烈だ。背部から森が迫り出す。
御嶽島の森は妖気でも立ち込めているのか、だれかれかまわず引き込んでしまいそうに怪しい。この島の森を紹介するのに、誰かが「うるうるとした」という形容詞を使っていたが、なるほど、これを指してそう言ったのかと杳子は納得した。光が強い分だけ、森の闇は深いのだろう。
半日の間に、遠くまで来たことを杳子はあらためて実感した。
「早いもので、紀三郎大兄が亡くなられてから、すでに13年が過ぎました。このままにしておくわけにはいきません。九月に改葬をしようということになりました。改葬というのは、ご存知でしょうか。埋葬した骨を取り出してきれいにしてから、改めて納め直す儀式です。骨から肉が剥がれる七年目ごろから行い、墓と骨を清めて、故人にやすらかに眠ってもらうのです。これは故人の姉妹や娘たち、いわば女たちが元になって行います。今頃になってと、杳子様はお思いでしょう・・・・
これを機会に、お父上の生まれた島に、ぜひ一度おいでくださいますように」
改葬という儀式があることを、杳子は初めて知った。
あの人は土葬されていたのか。
「改葬シ オッセリョーロ」
居合わせた人々は同じことを言い、うやうやしく手を合わせた。九月の大氣に白い煙が吸い込まれていく。
トウトガナシ トウトガナシ
トウトガナシ トウトガナシ
改葬してあげましょう、どうぞ神様、見守り下さいと言ったのですよ、貴代に教えられ、杳子も手を合わせる。
杳子のマブリと、父・紀三郎のマブリが、
13年の時空間を越えて、今遭遇の時を迎えたのか・・・
拒絶の対象だった亡き父が、
あるがままの姿で、杳子の前に、
現れようとする瞬間が迫る・・・
大学教授の祖父の教え子だった亡き父・紀三郎と、
祖父の一人娘だった母・富貴との間に、
東京で生まれた杳子。
こらぁ。がらすー。
さっきの少年が声を上げる。
クーナー、クーナーと頭上で大きく手を振って見せる。
いつの間に来ていたのか。数羽のからすが墓地の上を旋回していた。
肉ナンカ 無インドォー。来ルナー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここでは、不吉な鳥として、特に少年には目の仇にされている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
穴に入った男が被さっているものを払うと、さらに強い異臭が漂ってきた。杳子は思わず胸元を押さえそうになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キョラーサ、キョラーサ
拝マットゥリョーリ
穴の中から歓喜の声が上がる。覗き込んでいた人々が、手を取り合うようにして喜ぶ。
マブリカンヌ立ッチ
良ッチャタヤー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「キョラーサ 拝マットゥリョーリ」
きれいな白骨になっています。よかった、よかった。国春さんの頬が緩んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
肉が落ち切ってしまうとき、すべての罪から人は解放されるというのだろうか。
この世に残した過失や汚点が、肉とともに骨から剥がれ落ちる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ウキャガレマヨガレ。
踊れば花ジャガ踊ランバ損ジャガ。
幼いころ、父親の書斎で聞いた唄である。浮き上がれ舞い上がれ、踊ることこそ幸せなこと。全身を揺するようにして一人づつ立ち上がって踊る。打ち鳴らされる太鼓の音は天空まで響き渡る。
さあさ、お嬢さんもカヤさんも、お父上のために踊って下さいよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっぱり、持って行くのはやめよう。だれにともなく言い、杳子はジャケットを広げた。傷ついた骨を取り出すと、燃え盛る炎にくべた。東京より、父親の骨はここに眠らせる方がいいのだ。何万の人々の魂を、肉体を吸い込んできたこの島の土に還すことが。
父親の傷を刻み込んだ骨は、まるで木の一本になったように音をたてて燃えた。
カラスの群れが帰っていく・・・
カラスを追いかけていた少年の姿は、
もういなかった・・・
御嶽島の星の瞬く九月の空に、
浄化の夕日が見えるような、
穏やかな安らぎの一瞬が現出したような錯覚に、
陥りそうになった風人でした・・・
2007年02月16日
目取真俊の「タウチー(軍鶏)」から「虹の鳥」へ?
目取真俊は、「水滴」で芥川賞をとった後、
2年間、宮古島に住んでいた。
睡眠時間を惜しんでまで、24時間深夜喫茶店を選んで、
次の作品へ没頭した姿が想像できる。
何と、その24時間喫茶店が、12月お邪魔したSとは、
偶然とはいうものの、世間は狭い。
喫茶店には大きな水槽があり、
クマノミをはじめ、トロピカルな色の熱帯魚が泳いでいた。
ガチャガチャとポーカーゲーム機の機械音がする雰囲気の中で、
目取真俊は「タウチー(軍鶏)」等を、書き上げた。
「タウチー」の鳥肌が立つ凄みの描写力は、
何処から来るのか?
文章は残酷で、異様なほどのリアルタッチ!
こんなに迫真せまる”闘鶏・アカ”の、
烈しい冷酷なまでの美しい描写力は、
嘗て、経験も見た事も無い。
”嘔吐しそう”なほど”リアルな美しさ”!
鏡の手にした喜昭が背後から近寄るのに気づくと、
いきなり鏡に向って走りはじめた。
光が反射したと思った瞬間、カシッと鏡面にぶつかる爪の音がした。
喜昭が鏡を前に出すと同時に、バッ、と風を打つ音がし、アカの体が宙に舞う。
鏡は素早く引き上げられ、空を蹴って地面に降りたアカは、
すぐに次の蹴りを放つ。
それもかわされると今度は嘴で相手の顔を狙い、
真っ直ぐ下がった喜昭を小走りに追って、嘴を立てる。
先に回り込んだアカが喜昭の腰に蹴を放った。
顔をしかめた喜昭は、次の蹴を放ったアカを鏡の入った額の裏で叩き落した。
一メートル以上吹き飛ばされたアカは芝生に尻から落ちたが、
すぐに体勢を直して走ってくる。
「狂っておる如くあるむんな」
腰をかばったときにやられた手の甲の血をみせながら、
喜昭は苦笑いを浮かべた。
一瞬のうちに、緋と黒の大輪が咲いた。
低くかまえてお互いに上目遣いに相手をうかがい、ほとんど同時に宙に舞った。
バッ、バッという風を切る音が交錯する。
蹴り負けて尻から落ちたアカは、地面に広がった翼を素早くたたみ、
頭を狙ってきた蹴をかわして側面にまわると、相手のトサカに食いついた。
次の瞬間、押さえ込んだ相手の頭部にアカは蹴を叩きつけた。
濡れタオルで打つような音とともに羽が舞い、
目を閉じて打撃を受けた相手の頭が激しく振動する。
地面に降りると同時に二撃、三撃と蹴を放つアカに相手も蹴り返し、
まわりを囲んだ男たちはしばらく若鶏の蹴り合いに見惚れた。
アカは相手の嘴を頭を振って払うと、相手の目を狙って食い付き、
引きずるようにして頭を下げさせ、立て続けに蹴を放った。
頭を落としたまま、二歩、三歩前によろめいた相手は、翼を広げてしゃがみ込む。
かろうじて持ち上げた頭に、背後から躍り上がったアカがさらに蹴を打ち込む。
喜昭と若い男が同時に土俵に止めに入った。
魂(マブイ)を浚うかと思う程の迫力ある文章力に、
風人は酔い陶酔する!
南洋杉の幹に繋がれた鎖をいっぱいにのばして
飛びかかろうとするシャパードの鼻先にポークを落とす。
シェパードはポークをくわえ、木の根元に運んでにおいをかぐ。
一度口に 含みかけて吐き出し、前脚であそぶ。刃は深く埋め込んであった。
三合壜の蓋を開けながらシェパードがポークを口に入れるのを見たタカシは、
死にくされ、とつぶやいた。
激しい鳴き声を上げて、シェパードがのたうちまわる。
タウチーが暴れ、一斉に鳴きだす。
小屋の屋根にガソリンをまきながら居間のカーテンが開くのを見た。
ガソリンが半分残った壜を、南洋杉の根元でもがいているシェパードに投げつけた。
数本のマッチに火をつけた瞬間、恐怖が込み上げ鳥肌が立った。
居間のアルミサッシが開き、男が怒鳴りながら走ってくる。
マッチを投げると同時に塀を飛び降り、
背後で起こる爆発音を吹き寄せる火の熱に押されるように森の方へ走った。
小屋を包んだ火は南洋杉の根元から吹き上げた火と一つになり、
乾いた風に煽られ、樹脂の弾ける音とともにゆっくりと幹を登っていく。
三十メートル以上の高さに燃え盛り、火の粉を巻き上げて垂直に伸びる火柱を、
タカシは道の中央まで出て見上げた。
凄まじいまでの狂気じみたタカシの行為!
狂気を詳細に描ききる目取真の心の真意は?
激しすぎる!
魔物が支配している!
しかし美しい!
タウチー・アカのマブイ(魂)と、
タカシのマブイ(魂)が共鳴して、
地獄へ突き進む!
火の熱に汗が噴出し、見上げると、南洋杉の金と緋とオレンジの火柱は、
直立するタウチーの羽根のように美しかった。
夜空に舞う火の粉が家々に飛び、村を焼き尽くせばいいと思った。
怖ろしい作品だ!
何かを予感させる・・・・
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
恐ろしいほどの、文章の美しさ!
そのラストで、
「火の熱に汗が噴き出し、見上げると、南洋杉の金と緋とオレンジの火柱は、直立するタウチーの羽根のように美しかった。夜空に舞う火の粉が家々に飛び、村を焼き尽くせばいいと思った」
あまりにも激越な最後の風景だった記憶が蘇ります・・・・・・
ラストを書き終えた、目取真俊の目の裏は、真っ赤に燃えたぎっていたに違いない・・・
そして、
「虹の鳥」のラストシーン・・・・
「マユの後ろに立って、虹の鳥を見上げるカツヤの背後に、森の闇よりさらに深い影が近寄る。喉にアーミーナイフが当てられる感触に、カツヤは目を閉じる。
そして全て死に果てればいい。」
へと・・・・・・・
目取真はついにある一線を越えてしまった!
2年間、宮古島に住んでいた。
睡眠時間を惜しんでまで、24時間深夜喫茶店を選んで、
次の作品へ没頭した姿が想像できる。
何と、その24時間喫茶店が、12月お邪魔したSとは、
偶然とはいうものの、世間は狭い。
喫茶店には大きな水槽があり、
クマノミをはじめ、トロピカルな色の熱帯魚が泳いでいた。
ガチャガチャとポーカーゲーム機の機械音がする雰囲気の中で、
目取真俊は「タウチー(軍鶏)」等を、書き上げた。
「タウチー」の鳥肌が立つ凄みの描写力は、
何処から来るのか?
文章は残酷で、異様なほどのリアルタッチ!
こんなに迫真せまる”闘鶏・アカ”の、
烈しい冷酷なまでの美しい描写力は、
嘗て、経験も見た事も無い。
”嘔吐しそう”なほど”リアルな美しさ”!
鏡の手にした喜昭が背後から近寄るのに気づくと、
いきなり鏡に向って走りはじめた。
光が反射したと思った瞬間、カシッと鏡面にぶつかる爪の音がした。
喜昭が鏡を前に出すと同時に、バッ、と風を打つ音がし、アカの体が宙に舞う。
鏡は素早く引き上げられ、空を蹴って地面に降りたアカは、
すぐに次の蹴りを放つ。
それもかわされると今度は嘴で相手の顔を狙い、
真っ直ぐ下がった喜昭を小走りに追って、嘴を立てる。
先に回り込んだアカが喜昭の腰に蹴を放った。
顔をしかめた喜昭は、次の蹴を放ったアカを鏡の入った額の裏で叩き落した。
一メートル以上吹き飛ばされたアカは芝生に尻から落ちたが、
すぐに体勢を直して走ってくる。
「狂っておる如くあるむんな」
腰をかばったときにやられた手の甲の血をみせながら、
喜昭は苦笑いを浮かべた。
一瞬のうちに、緋と黒の大輪が咲いた。
低くかまえてお互いに上目遣いに相手をうかがい、ほとんど同時に宙に舞った。
バッ、バッという風を切る音が交錯する。
蹴り負けて尻から落ちたアカは、地面に広がった翼を素早くたたみ、
頭を狙ってきた蹴をかわして側面にまわると、相手のトサカに食いついた。
次の瞬間、押さえ込んだ相手の頭部にアカは蹴を叩きつけた。
濡れタオルで打つような音とともに羽が舞い、
目を閉じて打撃を受けた相手の頭が激しく振動する。
地面に降りると同時に二撃、三撃と蹴を放つアカに相手も蹴り返し、
まわりを囲んだ男たちはしばらく若鶏の蹴り合いに見惚れた。
アカは相手の嘴を頭を振って払うと、相手の目を狙って食い付き、
引きずるようにして頭を下げさせ、立て続けに蹴を放った。
頭を落としたまま、二歩、三歩前によろめいた相手は、翼を広げてしゃがみ込む。
かろうじて持ち上げた頭に、背後から躍り上がったアカがさらに蹴を打ち込む。
喜昭と若い男が同時に土俵に止めに入った。
魂(マブイ)を浚うかと思う程の迫力ある文章力に、
風人は酔い陶酔する!
南洋杉の幹に繋がれた鎖をいっぱいにのばして
飛びかかろうとするシャパードの鼻先にポークを落とす。
シェパードはポークをくわえ、木の根元に運んでにおいをかぐ。
一度口に 含みかけて吐き出し、前脚であそぶ。刃は深く埋め込んであった。
三合壜の蓋を開けながらシェパードがポークを口に入れるのを見たタカシは、
死にくされ、とつぶやいた。
激しい鳴き声を上げて、シェパードがのたうちまわる。
タウチーが暴れ、一斉に鳴きだす。
小屋の屋根にガソリンをまきながら居間のカーテンが開くのを見た。
ガソリンが半分残った壜を、南洋杉の根元でもがいているシェパードに投げつけた。
数本のマッチに火をつけた瞬間、恐怖が込み上げ鳥肌が立った。
居間のアルミサッシが開き、男が怒鳴りながら走ってくる。
マッチを投げると同時に塀を飛び降り、
背後で起こる爆発音を吹き寄せる火の熱に押されるように森の方へ走った。
小屋を包んだ火は南洋杉の根元から吹き上げた火と一つになり、
乾いた風に煽られ、樹脂の弾ける音とともにゆっくりと幹を登っていく。
三十メートル以上の高さに燃え盛り、火の粉を巻き上げて垂直に伸びる火柱を、
タカシは道の中央まで出て見上げた。
凄まじいまでの狂気じみたタカシの行為!
狂気を詳細に描ききる目取真の心の真意は?
激しすぎる!
魔物が支配している!
しかし美しい!
タウチー・アカのマブイ(魂)と、
タカシのマブイ(魂)が共鳴して、
地獄へ突き進む!
火の熱に汗が噴出し、見上げると、南洋杉の金と緋とオレンジの火柱は、
直立するタウチーの羽根のように美しかった。
夜空に舞う火の粉が家々に飛び、村を焼き尽くせばいいと思った。
怖ろしい作品だ!
何かを予感させる・・・・
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
恐ろしいほどの、文章の美しさ!
そのラストで、
「火の熱に汗が噴き出し、見上げると、南洋杉の金と緋とオレンジの火柱は、直立するタウチーの羽根のように美しかった。夜空に舞う火の粉が家々に飛び、村を焼き尽くせばいいと思った」
あまりにも激越な最後の風景だった記憶が蘇ります・・・・・・
ラストを書き終えた、目取真俊の目の裏は、真っ赤に燃えたぎっていたに違いない・・・
そして、
「虹の鳥」のラストシーン・・・・
「マユの後ろに立って、虹の鳥を見上げるカツヤの背後に、森の闇よりさらに深い影が近寄る。喉にアーミーナイフが当てられる感触に、カツヤは目を閉じる。
そして全て死に果てればいい。」
へと・・・・・・・
目取真はついにある一線を越えてしまった!
2007年02月03日
すばる2月号特集「復帰」35年
「オキナワの心熱」
http://www.shueisha.co.jp/CGI/magazine/rack.cgi/magazine/subaru.html?key=detail&zashimei=subaru&janru=lite
目取真俊さんが昨年出版された「虹の鳥」世界が、
意識下で妖怪のように見え隠れする・・・
時々、嘔吐症状をもよおしたりする日々・・・
何故に、目取真俊は”文学的テロリズム”へ傾斜するのだろうか・・・・・
特集号を読まなくちゃあ!!!
2006年11月15日
大城立裕「カクテルパーティー」を読む
大城立裕氏は1925年中頭郡中城村に生まれた。
生家は屋宜祝女殿内。
上海の東亜同文書院大学中退。
作品「カクテル・パーティー」は
琉球政府経済企画課勤務中の1965年書き、
「新沖縄文学」第4号で発表し、1967年芥川賞受賞。
丁度、沖縄の政治的復帰運動の高まりの中での、
受賞だったようだ。
作品は前章、後章に別れている。
前章では主人公「私」から、
後章では「お前」に人称が変化しており、
只ならぬ事態の変化を読み取れる。
前章では、
主人公「私」は、
アメリカ軍基地内のミスター・ミラー宅での、
招待された「カクテル・パーティー」に出席し、
中国語クラブ仲間の、
アメリカ人・ミスター・ミラー、
中国人弁護士の孫、
日本人全国紙記者の小川、
そして沖縄人の「私」の4人が、
パーティー会場で談笑に興じる。
前章で、仮面のカクテル・パーティー四人の登場人物が、
”本音と建前のギリギリのせめぎ合い”の中、
仮面の人間関係を崩すことなく終わったかに見えた。
後章、仮面のパーティーが行われていた丁度、その頃、
主人公「お前」の娘に、
M岬で身の上の事件が起こっていた。
「お前がパーティーから微燻をおびて帰宅した時、
娘はもう床をとって横たわっており、
妻が緊張した表情でお前を迎えた。
妻は、娘が脱いだ制服をお前に示した。
ところどころが汚れ破れていて、
それだけでもう、
お前は大きな事故が起こったことを理解させられた・・」
後章の進行とともに、4人の仮面が徐々に剥がれていく!
お前 「孫先生。私を目覚めさせたのは、あなたなのです。
お国への償いをすることと、
私の娘の償いを要求することとは、ひとつだ。
このクラブへ来てから、
それに気づいたとは情け無いことですが、
このさいおたがいに絶対的に不寛容になることが、
最も必要ではないでしょうか。
私が告発しようとしているのは、
ほんとうはたった一人のアメリカ人の罪ではなく、
カクテル・パーティーそのものなのです。」
ミラー 「人間として悲しいことです。」
お前 「ミスター・ミラー。布令第144号、刑法並びに訴訟手続法典第2・2・3条をご存知ですか?」
ミラー 「第2・2・3条?」
お前 「あとでみてください。合衆国軍隊要員への強姦の罪。
あれがある限り、あなたの願望は所詮虚妄にすぎないでしょう。
さようなら。」
現在でも、沖縄が「基地の島」であることに変わりないことを、
今回の沖国大米軍ヘリ墜落事故以降の全てが語ってはいないだろうか?
風人は”仮面の中に隠された真実”を今も無視することは出来ません。
2006年11月09日
大城立裕「亀甲墓」を読む
沖縄では、
昔、死者は白骨化するまで風葬場にさらし、
その後、洗骨して瓶の中に保存し、
亀甲墓に埋葬する習慣があったそうだ。
亀甲墓は、女性の子宮を形どったもので、
死者が母体に帰ること(帰元思想)を意味しているらしい。
直径5M程度のドーム状をしており、
ドーム入り口が左右に広がる。
壁は50cM程度の厚さのコンクリート(戦前は石材)で、
覆われている。
中は縦横高さが1.5M程度の空間で、
前方2段の棚の上には骨瓶、棚の下には棺を置く。
亀甲墓の建設には、
ノロ(女呪)が風水八掛で方向を決めるという。
この亀甲墓が、沖縄戦では狙撃用要塞として使われたため、
そのまま兵士達の墓標となったようだ。
当時、
日本軍や、沖縄の中学生等の民兵、鉄血勤皇隊などもいた。
作品「亀甲墓」は1945年執筆。
「なにしろ、ウシにとっても善徳にとっても、
百坪のなかの十五坪の萱葺きのなかのことしか、
考えない日常だったのだ。
沖縄県とか大日本帝国とかアメリカとかいうものは、
出兵兵士を見送ったり、
遺骨を出迎えたりする日に考えるだけだったから、
あの音がそれらと関係があるなどとは、
さらに気がつくはずがなかった。・・・・・・
まず、ドロロンと空気をぶちこわすような音がして、
家がゆれた。」
”ドロロン”(アメリカの艦砲射撃の音)が、
作品全体を被っている。
日夜、絶え間ない”ドロロン”の中、
先祖代々の墓「亀甲墓」に逃げ込んだ、
ウシ、善徳、タケ、栄太郎、文子、義春。
日常が非日常(アメリカとの沖縄戦に巻き込まれる)に、
被い尽くされていく。
「きょう、アメリカがイクサおしよせまして、
カンポーも撃ちあばれていますから、
どうかしてお元祖さまのお助けで、
たくさんの孫たちの体になんのさわりもありませぬよう」
非情な状況を描きながら、
作者は何故に”やさしさ”の筆感で、
最後まで描き切ったのか?
非情の戦争空間なるが故に、
”ドロロン”に象徴化された非日常を無化するためか。
”ドロロン”は悪魔の襲来であるとともに、
極楽往生・ニライカナイへの導きの音なのかも知れないと。
昔、死者は白骨化するまで風葬場にさらし、
その後、洗骨して瓶の中に保存し、
亀甲墓に埋葬する習慣があったそうだ。
亀甲墓は、女性の子宮を形どったもので、
死者が母体に帰ること(帰元思想)を意味しているらしい。
直径5M程度のドーム状をしており、
ドーム入り口が左右に広がる。
壁は50cM程度の厚さのコンクリート(戦前は石材)で、
覆われている。
中は縦横高さが1.5M程度の空間で、
前方2段の棚の上には骨瓶、棚の下には棺を置く。
亀甲墓の建設には、
ノロ(女呪)が風水八掛で方向を決めるという。
この亀甲墓が、沖縄戦では狙撃用要塞として使われたため、
そのまま兵士達の墓標となったようだ。
当時、
日本軍や、沖縄の中学生等の民兵、鉄血勤皇隊などもいた。
作品「亀甲墓」は1945年執筆。
「なにしろ、ウシにとっても善徳にとっても、
百坪のなかの十五坪の萱葺きのなかのことしか、
考えない日常だったのだ。
沖縄県とか大日本帝国とかアメリカとかいうものは、
出兵兵士を見送ったり、
遺骨を出迎えたりする日に考えるだけだったから、
あの音がそれらと関係があるなどとは、
さらに気がつくはずがなかった。・・・・・・
まず、ドロロンと空気をぶちこわすような音がして、
家がゆれた。」
”ドロロン”(アメリカの艦砲射撃の音)が、
作品全体を被っている。
日夜、絶え間ない”ドロロン”の中、
先祖代々の墓「亀甲墓」に逃げ込んだ、
ウシ、善徳、タケ、栄太郎、文子、義春。
日常が非日常(アメリカとの沖縄戦に巻き込まれる)に、
被い尽くされていく。
「きょう、アメリカがイクサおしよせまして、
カンポーも撃ちあばれていますから、
どうかしてお元祖さまのお助けで、
たくさんの孫たちの体になんのさわりもありませぬよう」
非情な状況を描きながら、
作者は何故に”やさしさ”の筆感で、
最後まで描き切ったのか?
非情の戦争空間なるが故に、
”ドロロン”に象徴化された非日常を無化するためか。
”ドロロン”は悪魔の襲来であるとともに、
極楽往生・ニライカナイへの導きの音なのかも知れないと。
2006年11月05日
目取真 俊作品「群蝶の木」を読む
「群蝶の木」は、週刊朝日別冊小説トリッパーの、
2000年夏季号に初出誌。
群蝶の木というのは、ユウナの黄色い花々が、
蝶が群れたように見えることから表現されたようだ。
小説は、部落(シマ)で4年に一度行われる豊年祭が、
御嶽(ウタキ)の森を背景にひらかれた拝所(ウガンジュ)の庭での出来事。
道連(みちじゅ)ねーの行列に
”ひやさっさ、ひやさっさ”と声をあげて、
カチャーシーを乱舞しながら乱入してきた、
老女のゴゼイから始まる。
錯乱したゴゼイは義明に昭正(ショウセイ)と呼びかける!
ゴゼイは戦中、那覇の娼婦館から連れて来られ、
日本軍の将校達の慰安婦をさせられ、
戦後は、シマの売春旅館で米兵相手に、
売春をやらされていた。
ゴゼイは50年以上、そのシマで虐げられて生きてきて、
痴呆になり徘徊を続け、
ついに隣町の老人病院で息をひきとる。
子供のころ、迷い児となった主人公の義明が、
ゴゼイに助けられた記憶と拘り。
「どれくらいの時間、そこで立ち尽くしていたのか。垂直に注ぐ陽に打ちのめされるようにしゃがみこんだ義明に、声をかけたのがゴゼイだった。
”義明やあらんな?何(ぬー)が、こんな所で何してるね?
涙がこみ上げて義明は激しく鳴咽した。
”迷子になったんな、あいやー、こんな小さな童(わらびぬ)の、あが遠さまで一人で歩いて来たんな・・・。”
残飯や空瓶を載せたリヤカーを道端に止めると、ゴゼイは義明を助け起こして、頬被りしていた手拭で顔を拭いてやった。それから腰に下げていた袋から黒砂糖の欠けらを取り出し、義明の口に含ませた。植物の匂いが残る甘味が渇いた口の中に唾液をにじませる。」
戦中シマの共同体から外れた、
ゴゼイと昭正(ショウセイ)の切ない束の間の恋。
「木の幹のように固い右腕で、手首をつかまれ、跡がつくのをたしなめながら、潮の匂いがする胸に体をぶつける。太く喉仏の大きな首筋を舐める。
生きた男の体を抱いたのは初めてだった。・・・・・・
・・・・・・・・
うなじから背筋を伝って脇腹を撫で、尻のくぼみに入っていく右手の荒々しい動きに身を捩りながら、垂れ下がったままの左腕を撫で、癒着した指をてのひらに包む。」
三人が織り成す現在(豊年祭)と過去(沖縄戦)。
ゴゼイと昭正(ショウセイ)の洞窟(ガマ)での別れ!
「”何を調べようとしていた。え、正直に言わんか、ああ、日本男児として恥ずかしくないか、この片輪者が、魂をアメリカに売り渡しおって・・・”、石野の軍靴が顔を蹴りつけ、横倒しになった昭正は起き上がれないまま、初めて呻き声を漏らす。
飛び出していって兵隊達にすがりつき、拝み倒して、助けなければ。そう思った。しかし、体は動かなかった。いつ死んでもいい、いや、早く死んだ方がまし、と思い続けてきたのに、手も、胸も、腹も、足も、岩や泥に吸い付いたように動かすことが出来ない。
二人の兵隊が襟首と後ろ手に縛った手首あたりをつかまえ、昭正を引きずり起こす。着剣した兵隊が銃床で鳩尾を突くと、昭正は前のめりになり、罵声を浴びせられて立たせられる。銃を手にした二人の兵隊が出入り口に向って岩の階段を上り、その後に昭正と両脇から体を支える兵隊が続く。最後に軍刀を手にした石野と与那嶺が何か小声で話しながら上がっていく。
洞窟を出る時、昭正は振り向いてゴゼイの方を見た。腕を抱えた兵隊が顔を殴りつけ、外に引きずり出す。
月明かりの陰になって、最後まで昭正の顔をはっきりと見ることはできなかった。
しかし、月明かりを受けた自分の顔は見ることができただろうと思う。いや、できなかったかもしれない。
なぜ、あの時、自分は岩陰に顔を伏せたのか。
戻ってきた兵隊達が話す声に、ゴゼイは耳をふさいだ。」
幾重にも織り込んだ、沖縄戦記憶の細部のイメージは、
あくまでも鮮烈です。
この作品を通して、
群蝶の木(ユウナの黄色い花)や珊瑚のイメージ描写が、
ある種、救済の可能性を暗示してないか!
2000年夏季号に初出誌。
群蝶の木というのは、ユウナの黄色い花々が、
蝶が群れたように見えることから表現されたようだ。
小説は、部落(シマ)で4年に一度行われる豊年祭が、
御嶽(ウタキ)の森を背景にひらかれた拝所(ウガンジュ)の庭での出来事。
道連(みちじゅ)ねーの行列に
”ひやさっさ、ひやさっさ”と声をあげて、
カチャーシーを乱舞しながら乱入してきた、
老女のゴゼイから始まる。
錯乱したゴゼイは義明に昭正(ショウセイ)と呼びかける!
ゴゼイは戦中、那覇の娼婦館から連れて来られ、
日本軍の将校達の慰安婦をさせられ、
戦後は、シマの売春旅館で米兵相手に、
売春をやらされていた。
ゴゼイは50年以上、そのシマで虐げられて生きてきて、
痴呆になり徘徊を続け、
ついに隣町の老人病院で息をひきとる。
子供のころ、迷い児となった主人公の義明が、
ゴゼイに助けられた記憶と拘り。
「どれくらいの時間、そこで立ち尽くしていたのか。垂直に注ぐ陽に打ちのめされるようにしゃがみこんだ義明に、声をかけたのがゴゼイだった。
”義明やあらんな?何(ぬー)が、こんな所で何してるね?
涙がこみ上げて義明は激しく鳴咽した。
”迷子になったんな、あいやー、こんな小さな童(わらびぬ)の、あが遠さまで一人で歩いて来たんな・・・。”
残飯や空瓶を載せたリヤカーを道端に止めると、ゴゼイは義明を助け起こして、頬被りしていた手拭で顔を拭いてやった。それから腰に下げていた袋から黒砂糖の欠けらを取り出し、義明の口に含ませた。植物の匂いが残る甘味が渇いた口の中に唾液をにじませる。」
戦中シマの共同体から外れた、
ゴゼイと昭正(ショウセイ)の切ない束の間の恋。
「木の幹のように固い右腕で、手首をつかまれ、跡がつくのをたしなめながら、潮の匂いがする胸に体をぶつける。太く喉仏の大きな首筋を舐める。
生きた男の体を抱いたのは初めてだった。・・・・・・
・・・・・・・・
うなじから背筋を伝って脇腹を撫で、尻のくぼみに入っていく右手の荒々しい動きに身を捩りながら、垂れ下がったままの左腕を撫で、癒着した指をてのひらに包む。」
三人が織り成す現在(豊年祭)と過去(沖縄戦)。
ゴゼイと昭正(ショウセイ)の洞窟(ガマ)での別れ!
「”何を調べようとしていた。え、正直に言わんか、ああ、日本男児として恥ずかしくないか、この片輪者が、魂をアメリカに売り渡しおって・・・”、石野の軍靴が顔を蹴りつけ、横倒しになった昭正は起き上がれないまま、初めて呻き声を漏らす。
飛び出していって兵隊達にすがりつき、拝み倒して、助けなければ。そう思った。しかし、体は動かなかった。いつ死んでもいい、いや、早く死んだ方がまし、と思い続けてきたのに、手も、胸も、腹も、足も、岩や泥に吸い付いたように動かすことが出来ない。
二人の兵隊が襟首と後ろ手に縛った手首あたりをつかまえ、昭正を引きずり起こす。着剣した兵隊が銃床で鳩尾を突くと、昭正は前のめりになり、罵声を浴びせられて立たせられる。銃を手にした二人の兵隊が出入り口に向って岩の階段を上り、その後に昭正と両脇から体を支える兵隊が続く。最後に軍刀を手にした石野と与那嶺が何か小声で話しながら上がっていく。
洞窟を出る時、昭正は振り向いてゴゼイの方を見た。腕を抱えた兵隊が顔を殴りつけ、外に引きずり出す。
月明かりの陰になって、最後まで昭正の顔をはっきりと見ることはできなかった。
しかし、月明かりを受けた自分の顔は見ることができただろうと思う。いや、できなかったかもしれない。
なぜ、あの時、自分は岩陰に顔を伏せたのか。
戻ってきた兵隊達が話す声に、ゴゼイは耳をふさいだ。」
幾重にも織り込んだ、沖縄戦記憶の細部のイメージは、
あくまでも鮮烈です。
この作品を通して、
群蝶の木(ユウナの黄色い花)や珊瑚のイメージ描写が、
ある種、救済の可能性を暗示してないか!
2006年08月05日
目取真俊「平和通りと・・・」を読む(2005.7.2)
6月琉球弧一人旅の最中、
生憎の雨の天候が多く、
時間を持て余して、石垣図書館、宮古図書館によく通いました。
以前から気にかかっていた、
目取真俊の初期作品「平和通りと名付けられた街を歩いて」を、
詠む機会があり、
今、改めて、目取真俊さんの初期の作品に触れ、
その後の、目取真文学の胞子が至る所にちりばめられ、
この作品の豊穣性に驚いています・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おばー、山原(やんばる)はまだ遠いかなー」
窓から差し込む陽の光に顔をしかめて、カジュはウタに訊いた。ウタはシートに頭をもたせかけて静かに眠っている。銀色の混じった白髪が陽を受けて映え、丸い顔の産毛が白い粉をふいたように淡い光に包まれている。薄く開いた目をかたつむりが這った後のように銀色の膜が覆っていた。顎が落ちて、顔が長くなったように見える歯の無い口から涎が糸を引いて垂れた。
「あら、バスの中なのに蝿が」
女子高校生の一人が、窓ガラスの上を歩いている蝿を見つけて、側の友人に指差して教えた。蝿は飛び立つと、ウタの目に留まった。・・・・・・・・・・・・
カジュは蝿を追いながらウタの額に触れ、陽を受けているのにそこが冷たいのに気付いた。手を握ると、冷たさは一層カジュの心に染みた。冷房の送風口を横に向け、カジュはウタの手を陽の光で暖かい窓ガラスに押しつけた。ウタの顔にかすかに笑みが浮かんだようだった。
「おばー、山原はまだかなー」
基地の緑は目に眩しく、カジュの体はうっすら汗ばむくらいだったが、ウタの手はいつまで経っても温かくならなかった。
小説ラストの情景描写が、心に疼きます・・・
山原(やんばる)へ、
カジュとの帰郷バスのなかで、
ウタ・オバーの、儚く消え入る命の灯火ように揺らめきます。
ウタの、戦後から沖縄返還までの人生を、
沖縄返還後の人生が、”踏み絵”にして、
ウタの一生の生き様を展開します・・
沖縄にとっての、戦後とは・・・
沖縄返還とは・・・
目取真俊のタッチは、あくまでも”優しく””豊穣”で・・・
しかし強靭な”叫び”が・・・
風人には聞こえてきました。
///////////////////////////////////////////////////////////
一口に琉球弧の御嶽といっても、
島それぞれです。
八重山諸島では特に、島々により御嶽の呼称は様々のようです。
自分自身のために整理してみました。
島 御嶽呼称 1)祭祀者 2)補助者
石垣、竹富 オン 1)ホールザーマイ、ティカサ、ツカサ
小浜 ワーン 1)ウーティカー 2)チンチビ、バキィティカ
黒島 ワーン 1)シィカサ 2)ティズル
西表 ウガン 1)ティカサ 2)ティズルビヤー、チビージ
鳩間 ウガン 1)サカサ 2)バキサカサ、ティジリビー
与那国 ウガン 1)ウブカ、スバカ 2)ティディビ
波照間 ワー 1)シィカサ 2)パナヌファ
波照間のパナヌファさんとは、重要な友人です・・
2006年08月05日
目取真 俊[風音]を読む(2004.8.16)
2年前の新盆に、
目取真俊作品を、
映画から原作へと、
立て続けに読むチャンスに恵まれた。
今から振り返ると、
琉球弧の島々へ、最もアクティブだった頃の、
自分が垣間見れる。
8日から出かける、
沖縄本島・本部への旅、
目取真俊さんの故郷への、
追っかけ旅でもある・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
楽天仲間の上等沖縄司会屋さん推薦の、
「目取真 俊」を読み始めた。
きっかけは、映画「風音」を、
やはり沖縄司会屋さんからの推薦で、
渋谷の映画館ユーロスペースへ観にいったのが始まりだった。
映画は東監督で沖縄映画には定評がある。
目取真さんが映画の為に脚本・原作を書き直した。
二人のコンビで出来上がった作品は、まずまずの出来か。
沖縄の自然が画面から溢れ出る。
沖縄の空気の臭いが伝わってきそうなカメラワークでした。
映画の後、2004年4月発売の「風音」を読んだ。
ビックリしました!
映画以上に自然・状況描写が鮮烈なのです。
目取真俊の描写力が、風人の想像力をかきたてました。
「新しい肉の匂いを嗅ぎつけ、カニやオオヤドカリがアダンの茂みの一角に集まっている。ただ、砂の中に潜って肉の場所までたどり着くのは難しく、アダンの枯葉の上を行き来してお互いの甲羅や貝殻をこすりつけ合っている。きしきしという乾いた音と枯葉の踏みつけられる音が、アダンの茂みの奥で続いた。
肉をあきらめたオオヤドカリは、赤く熟れたアダンの実に登り、果肉を食べはじめた。大人のこぶし位もある白い巻貝に入ったオオヤドカリの群れが、清吉の置いたアダンの実を食べる様子は、血に濡れた肉に群がる小さな頭蓋骨の集団のようだった。
一匹のカニがアダンの葉をかき分けて砂に潜ると、近くにいた二、三匹のカニもそれに続いた。」
砂の中に埋められた殺害死体に向かうカニたち!
その死体に群がり肉を食らう無数のカニ、
”ドンドン”風人は想像力の世界に!
「風音」の初稿は、
「沖縄タイムス」に1985年12月~86年2月に掲載した、
連載小説でした。
映画化のための2004年4月発売の「風音」より、
約8年前でした。
芥川賞受賞の「水滴」が1997年4月(文学界)ですから、
目取真俊の作品時間の流れが分かります。
初稿の「風音」は、風人にはさらに魅力的な作品でした。
風景・状況描写が濃密でマングローブの深い泥の匂いが伝わるほどの迫力のある描写。
風葬場のリアリティーさ。
”泣き御頭”の儚さ!
「入神川の河口に密生したマングローブの中を清吉は泥に足をとられてよろめきながら先を急いでいた。前を行く父の喜昭が遅れがちな清吉を押し殺した声で叱る。ヒルギの艶やかな葉の間を漏れる月の光が生臭い泥の肌に反射し、小さな塔のように林立しているヒルギの実が薄気味悪い影を作る。足元から湧くガスに吐き気が込み上げるのをこらえ、清吉は背中のカマスを背負い直した。
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
無言のまま先を急ぐ父の後ろを清吉は必死でついて行った。膝までのみ込むやわらかな泥が、腐乱した死人の手のように足をつかんでなかなか離さない。前のめりに転び、鼻先に硝煙のように酸っぱい泥の臭いをかいだ清吉は、短い叫びを上げてしまったことを、恥じて父を見た。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
”此れ持てー”(くりむてー)
いきなり清吉の肩に父のカマスが乗せられた。
父は遺体に近寄ると、しばらくしゃがんで様子を確かめていた。やがてその下に腕を入れて上半身を起こすと、両腕をつかまえて肩から胸の方にまわし、泥の中から引き抜くようにして遺体を背負った。
清吉は驚いて月の光に樹影が揺れる父の顔を見つめた。父は泥の中に深く沈みこむ身体を左右に揺すりながら歩き出す。背の低い父の体からはみ出した遺体の靴先が、泥の上に蛇を這わせ、清吉は奇妙な興奮を覚えながら後に従った。」
風人は、自分が主人公になり、
重い遺体をマングローブの深い泥のなかから、
運び出しているかのような”錯覚”に陥りました。
スゴイ描写力!>
「頭頂部にそっと触れると冷たい感触が指先に伝わる。潮風に洗われてなめらかに風化した骨の表面をなでていて指先がくぼみに触れた。アキラは左のこめかみに開いている穴を見た。小さな穴だった。縁に指を這わせ、人差し指を入れると先のほうが入っただけだった。
ふと、アキラは御頭の泣く理由が分かった。
小さな穴を吹き抜ける風の音。二つの眼窩から吹き込み、頭蓋の中で反響し、男の命を奪ったこめかみの傷口から漏れる風の音が、泣き声の正体だった。
アキラは両手で御頭を持ち上げた。そして、砂の上にそっとおろそうとした時、鋭い歯がいきなりアキラの指を噛んだ。アキラは叫びを上げて腕を振り回した。眼窩からのぞいた蟹の爪が指をはさんでいる。渾身の力で御頭を投げ捨てると、人差し指の肉が生爪ともども噛み切られた。
御頭は真っ直ぐに崖の下に落下していく。
ものがなしい風音が遠去かる。
闇の底に砕け散る破片が白い花火のように広がる。」
「泣き御頭」が粉々だ・・・・
何ということをアキラはやらかした!
いとおしい泣き御頭!
アキラの泣き出したいくらい動揺した心が、
風人に伝染しうずく!
目取真俊作品を、
映画から原作へと、
立て続けに読むチャンスに恵まれた。
今から振り返ると、
琉球弧の島々へ、最もアクティブだった頃の、
自分が垣間見れる。
8日から出かける、
沖縄本島・本部への旅、
目取真俊さんの故郷への、
追っかけ旅でもある・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
楽天仲間の上等沖縄司会屋さん推薦の、
「目取真 俊」を読み始めた。
きっかけは、映画「風音」を、
やはり沖縄司会屋さんからの推薦で、
渋谷の映画館ユーロスペースへ観にいったのが始まりだった。
映画は東監督で沖縄映画には定評がある。
目取真さんが映画の為に脚本・原作を書き直した。
二人のコンビで出来上がった作品は、まずまずの出来か。
沖縄の自然が画面から溢れ出る。
沖縄の空気の臭いが伝わってきそうなカメラワークでした。
映画の後、2004年4月発売の「風音」を読んだ。
ビックリしました!
映画以上に自然・状況描写が鮮烈なのです。
目取真俊の描写力が、風人の想像力をかきたてました。
「新しい肉の匂いを嗅ぎつけ、カニやオオヤドカリがアダンの茂みの一角に集まっている。ただ、砂の中に潜って肉の場所までたどり着くのは難しく、アダンの枯葉の上を行き来してお互いの甲羅や貝殻をこすりつけ合っている。きしきしという乾いた音と枯葉の踏みつけられる音が、アダンの茂みの奥で続いた。
肉をあきらめたオオヤドカリは、赤く熟れたアダンの実に登り、果肉を食べはじめた。大人のこぶし位もある白い巻貝に入ったオオヤドカリの群れが、清吉の置いたアダンの実を食べる様子は、血に濡れた肉に群がる小さな頭蓋骨の集団のようだった。
一匹のカニがアダンの葉をかき分けて砂に潜ると、近くにいた二、三匹のカニもそれに続いた。」
砂の中に埋められた殺害死体に向かうカニたち!
その死体に群がり肉を食らう無数のカニ、
”ドンドン”風人は想像力の世界に!
「風音」の初稿は、
「沖縄タイムス」に1985年12月~86年2月に掲載した、
連載小説でした。
映画化のための2004年4月発売の「風音」より、
約8年前でした。
芥川賞受賞の「水滴」が1997年4月(文学界)ですから、
目取真俊の作品時間の流れが分かります。
初稿の「風音」は、風人にはさらに魅力的な作品でした。
風景・状況描写が濃密でマングローブの深い泥の匂いが伝わるほどの迫力のある描写。
風葬場のリアリティーさ。
”泣き御頭”の儚さ!
「入神川の河口に密生したマングローブの中を清吉は泥に足をとられてよろめきながら先を急いでいた。前を行く父の喜昭が遅れがちな清吉を押し殺した声で叱る。ヒルギの艶やかな葉の間を漏れる月の光が生臭い泥の肌に反射し、小さな塔のように林立しているヒルギの実が薄気味悪い影を作る。足元から湧くガスに吐き気が込み上げるのをこらえ、清吉は背中のカマスを背負い直した。
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
無言のまま先を急ぐ父の後ろを清吉は必死でついて行った。膝までのみ込むやわらかな泥が、腐乱した死人の手のように足をつかんでなかなか離さない。前のめりに転び、鼻先に硝煙のように酸っぱい泥の臭いをかいだ清吉は、短い叫びを上げてしまったことを、恥じて父を見た。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
”此れ持てー”(くりむてー)
いきなり清吉の肩に父のカマスが乗せられた。
父は遺体に近寄ると、しばらくしゃがんで様子を確かめていた。やがてその下に腕を入れて上半身を起こすと、両腕をつかまえて肩から胸の方にまわし、泥の中から引き抜くようにして遺体を背負った。
清吉は驚いて月の光に樹影が揺れる父の顔を見つめた。父は泥の中に深く沈みこむ身体を左右に揺すりながら歩き出す。背の低い父の体からはみ出した遺体の靴先が、泥の上に蛇を這わせ、清吉は奇妙な興奮を覚えながら後に従った。」
風人は、自分が主人公になり、
重い遺体をマングローブの深い泥のなかから、
運び出しているかのような”錯覚”に陥りました。
スゴイ描写力!>
「頭頂部にそっと触れると冷たい感触が指先に伝わる。潮風に洗われてなめらかに風化した骨の表面をなでていて指先がくぼみに触れた。アキラは左のこめかみに開いている穴を見た。小さな穴だった。縁に指を這わせ、人差し指を入れると先のほうが入っただけだった。
ふと、アキラは御頭の泣く理由が分かった。
小さな穴を吹き抜ける風の音。二つの眼窩から吹き込み、頭蓋の中で反響し、男の命を奪ったこめかみの傷口から漏れる風の音が、泣き声の正体だった。
アキラは両手で御頭を持ち上げた。そして、砂の上にそっとおろそうとした時、鋭い歯がいきなりアキラの指を噛んだ。アキラは叫びを上げて腕を振り回した。眼窩からのぞいた蟹の爪が指をはさんでいる。渾身の力で御頭を投げ捨てると、人差し指の肉が生爪ともども噛み切られた。
御頭は真っ直ぐに崖の下に落下していく。
ものがなしい風音が遠去かる。
闇の底に砕け散る破片が白い花火のように広がる。」
「泣き御頭」が粉々だ・・・・
何ということをアキラはやらかした!
いとおしい泣き御頭!
アキラの泣き出したいくらい動揺した心が、
風人に伝染しうずく!
2006年07月21日
風車祭(カジマヤー)を読む その2(2004.9.23)
作品の2大舞台装置。
新川のアラピキ橋、十八番街のビッチンヤマ御嶽の中で、
風人は何故か「ビッチンヤマ御嶽」に、
現実、非現実とも拘ってしまっています。
旧暦の新年は、フジおばーにとって、
一世一代のメインイベント・風車祭(カジマヤー)の年、
なのである。
新年早々、
「ウートートー、こうパーッと騒げて、ザーッと血が流れて、ワーッと泣けて、ヒイヒイ笑えることを起こしてください。マリドウシヌユイの年なので、ひとつ派手にお願いいたします。ウートートー」
この調子である!
97歳にむけて絶好調・傍迷惑のフジおばー!
一方、「ビッチンヤマ御嶽」でマブイを落とした郁子。
その姉の睦子は。

「彼女は親に隠れて十八番街で飲み歩くことを日課としている。そこは睦子の庭といってよかった。泥酔したまま路上に転がる睦子は、様々な噂をきいている。路上睡眠仲間が絶対にビッチンヤマ御嶽には入るな、と警告したことがある。そこに入ると、神隠しや不慮の事故に遭遇してしまうという。最初は睦子も馬鹿馬鹿しいと耳をかさなかった・・・・・・
・・・・・・・・・酒がまだ残っているのか、足元がおぼつかない男が小便をしようと立ち上がって、ふらふらと場所を探していた。ふと見るとビルの隙間に森があるではないか。男は石段を登ってビルの狭間の御嶽で用を足した。あれは仲間がいっていたビッチンヤマ御嶽ではないか、と睦子は興味津々で近づいた。すると一瞬、眩暈がしたのか大地が歪んでいるような感覚に襲われた。森の中が強い日差しを浴びた昼間の明るさに変わり、そこだけ朝の靄から独立してていた。・・・・・・・・・・・・
”いない。ユクシー。消えてしまったの”・・・・・・・
しかし、睦子はしっていた。あれは失踪などではない。消えたのだ」
姉の睦子にとっても、
「ビッチンヤマ御嶽」の存在と向き合う羽目に!
風人が「スナックM」から出てきた時は、
既に明け方の白々した空気が上空を被っていた。
夏の朝はケダルイ!
「スナックM」の波照間出身のSちゃんと、
ムシャーマを観に一緒に帰る約束をし、フラフラしながら、
朝靄にけむるビッチンヤマ御嶽さんに一礼し、
民宿・パナリヤーンブジーナ方面に歩き出す。
睦子は、郁子がマブイを落とす羽目になったのは、
フジおばーに唆されたからだと思い込み、
フジおばー宅に乗り込んだ!
「その頃、フジと美津子はビッチンヤマ御嶽に到着したばかりだった。・・・・・・・・・・・・・」
ビッチンヤマ御嶽での、
美津子とチーチーマーチューとの商談は、
フジおばーのミラクルテクニックのお陰で成立する。
「ひとりビッチンヤマ御嶽に残されたフジは自らの有能ぶりに悦に入っている。調子に乗ったフジは芸術性に目覚め、この日の記念に森のアコウ木に自画像を描いて残しておこうと決心した。石を拾うと、神木とも知らずにガリガリと幹を抉る。ご丁寧なことに”仲村かりフジ参上。since1901”と暴走族のような刻印まで彫り上げたのだった。ザワザワと枝が揺れ、フジは軽い眩暈を生じた。”なんだか眠くなってきたようだよ”辺りが白んで、フジはなんともいえない芳香に意識を溶けこませたまま、やがて空白の瞬間が訪れ、身体を庇うことなく地面に崩れ落ちた」
ヤバイ!
フジおばーのマブイが抜けた!!
ミイラ取りがミイラになったか?
今年のカジマヤーはどうなるんだ?
8月29日・ムシャーマの日!
石垣島離島桟橋。
朝一番の波照間島行きの高速船に、
乗り込む風人の姿がありました。
新川のアラピキ橋、十八番街のビッチンヤマ御嶽の中で、
風人は何故か「ビッチンヤマ御嶽」に、
現実、非現実とも拘ってしまっています。
旧暦の新年は、フジおばーにとって、
一世一代のメインイベント・風車祭(カジマヤー)の年、
なのである。
新年早々、
「ウートートー、こうパーッと騒げて、ザーッと血が流れて、ワーッと泣けて、ヒイヒイ笑えることを起こしてください。マリドウシヌユイの年なので、ひとつ派手にお願いいたします。ウートートー」
この調子である!
97歳にむけて絶好調・傍迷惑のフジおばー!
一方、「ビッチンヤマ御嶽」でマブイを落とした郁子。
その姉の睦子は。

「彼女は親に隠れて十八番街で飲み歩くことを日課としている。そこは睦子の庭といってよかった。泥酔したまま路上に転がる睦子は、様々な噂をきいている。路上睡眠仲間が絶対にビッチンヤマ御嶽には入るな、と警告したことがある。そこに入ると、神隠しや不慮の事故に遭遇してしまうという。最初は睦子も馬鹿馬鹿しいと耳をかさなかった・・・・・・
・・・・・・・・・酒がまだ残っているのか、足元がおぼつかない男が小便をしようと立ち上がって、ふらふらと場所を探していた。ふと見るとビルの隙間に森があるではないか。男は石段を登ってビルの狭間の御嶽で用を足した。あれは仲間がいっていたビッチンヤマ御嶽ではないか、と睦子は興味津々で近づいた。すると一瞬、眩暈がしたのか大地が歪んでいるような感覚に襲われた。森の中が強い日差しを浴びた昼間の明るさに変わり、そこだけ朝の靄から独立してていた。・・・・・・・・・・・・
”いない。ユクシー。消えてしまったの”・・・・・・・
しかし、睦子はしっていた。あれは失踪などではない。消えたのだ」
姉の睦子にとっても、
「ビッチンヤマ御嶽」の存在と向き合う羽目に!
風人が「スナックM」から出てきた時は、
既に明け方の白々した空気が上空を被っていた。
夏の朝はケダルイ!
「スナックM」の波照間出身のSちゃんと、
ムシャーマを観に一緒に帰る約束をし、フラフラしながら、
朝靄にけむるビッチンヤマ御嶽さんに一礼し、
民宿・パナリヤーンブジーナ方面に歩き出す。
睦子は、郁子がマブイを落とす羽目になったのは、
フジおばーに唆されたからだと思い込み、
フジおばー宅に乗り込んだ!
「その頃、フジと美津子はビッチンヤマ御嶽に到着したばかりだった。・・・・・・・・・・・・・」
ビッチンヤマ御嶽での、
美津子とチーチーマーチューとの商談は、
フジおばーのミラクルテクニックのお陰で成立する。
「ひとりビッチンヤマ御嶽に残されたフジは自らの有能ぶりに悦に入っている。調子に乗ったフジは芸術性に目覚め、この日の記念に森のアコウ木に自画像を描いて残しておこうと決心した。石を拾うと、神木とも知らずにガリガリと幹を抉る。ご丁寧なことに”仲村かりフジ参上。since1901”と暴走族のような刻印まで彫り上げたのだった。ザワザワと枝が揺れ、フジは軽い眩暈を生じた。”なんだか眠くなってきたようだよ”辺りが白んで、フジはなんともいえない芳香に意識を溶けこませたまま、やがて空白の瞬間が訪れ、身体を庇うことなく地面に崩れ落ちた」
ヤバイ!
フジおばーのマブイが抜けた!!
ミイラ取りがミイラになったか?
今年のカジマヤーはどうなるんだ?
8月29日・ムシャーマの日!
石垣島離島桟橋。
朝一番の波照間島行きの高速船に、
乗り込む風人の姿がありました。
2006年07月21日
池上永一「カジマヤー」を読む その1(2004.9.22)
「ビッチンヤマ御嶽」の存在を、
池上永一の「カジマヤー」で知ってから、
石垣島に上陸時には、
ほぼ日課のようになったビッチンヤマ御嶽通い。

字石垣にある、旧歓楽街の18番街のビルの谷間の陰で、
猫の額ほどの御嶽空間の朽ちかけた社とアコウの樹。
昼間だというのに、
チーチーマーチューとターチーマーチューは、
今でも昼寝で夢をみているんだろうか?
夢はパイパティローマのミルク神だろうか?
現在の歓楽街・美崎町の光に対し、
旧歓楽街・18番街は、まさに影。
栄枯盛衰の感!
今日(8月28日)は、石垣島のソーロン・アンガマの日。
各字ではアンガマの行列が通る。
風人も字石垣のアンガマに!

旧歓楽街・18番街が深夜の闇に近づくと、
風人のイキマブイが蠢きだす!
18番街の「スナックM」は異時空間への入り口。
鬼餅(ムーチー)の文章から
「寂れた夜の街に、よそ見をしていれば通り過ぎてしまうほど、小さな影を作っている。ビッチンヤマ御嶽の信仰は途切れ、名の由来すらわからなくなった。ただ、申し訳程度の朽ちた小さな社と、壁に塞がれて入り口の役目を失った鳥居が、かつてそこが島人が信仰していた森であったことを印すのみである。
「ビッチンヤマの信仰は廃れたが、恐れだけは残った。その通りを歩く者を神隠しにあわせてしまうという。近年生じたその伝説により、ますます人の足が遠ざかり、島の禁忌の象徴として、災いを纏った神域となりつつあった」
風人は夜の帳を彷徨う、
チーチーマーチュー、ターチーマーチューに会いたくて、
今日も18番街に向う。
「”オジーが今隠したのはなあに”
また声がしたので、兄弟は一目散に逃げ出した。そこでは、マブイを落とす術を模索中である郁子がビッチンヤマ御嶽を覗いていたのだった。郁子は禁域であろうが、墓場であろうが、自分の好奇心が価値があるとみなせば、向うみずにやってくる。・・・・・・・・・・
”何を隠したのかしら”・・・・・・・・・・
郁子が土を掘り返していると、背後の社から視線が粘着質に絡みついてきた。
”何だか気持ちが悪い場所ね”・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
隅に山積みになっていたはずのウチカビがなくなっていた。
”そんな。さっきまであったじゃない。後ろにだって香炉が・・・”
郁子がそう思った瞬間に、線香の煙が束になって背後から足元に漂ってきた。恐る恐る振り返ると、空だったはずの香炉に夥しい数の線香が赤々と燃えていた。夢でも見ているかのようなぽうとした光景だった。またひとつ、心臓が大きく膨らみ、ドクリと内側で破裂したかと思うと、すうと意識が抜けていった。」
「鬼餅(ムーチー)の日は日暮れは早く、遊び盛りの子供には物足りなく思える。嘘つきの霊感少女が街にある自宅に帰ろうと、ビッチンヤマ御嶽の前を通り過ぎる頃には、完全な夜になっていた。いつもは星明りほどに瞬いている寂れたネオンの他に、救急車のサイレンが一際輝いていた。駆け寄ってみると、幼い女の子が御嶽の森から担架で運ばれているところだった。精気を奪われたかのような蒼白な表情が印象的だった」
風人はスナックMの戸を開き、薄暗い湿った空気の中、
澱んだ視界に消えていく。
耳に入る夏川りみの童神のメロディー。
続く・・
池上永一の「カジマヤー」で知ってから、
石垣島に上陸時には、
ほぼ日課のようになったビッチンヤマ御嶽通い。

字石垣にある、旧歓楽街の18番街のビルの谷間の陰で、
猫の額ほどの御嶽空間の朽ちかけた社とアコウの樹。
昼間だというのに、
チーチーマーチューとターチーマーチューは、
今でも昼寝で夢をみているんだろうか?
夢はパイパティローマのミルク神だろうか?
現在の歓楽街・美崎町の光に対し、
旧歓楽街・18番街は、まさに影。
栄枯盛衰の感!
今日(8月28日)は、石垣島のソーロン・アンガマの日。
各字ではアンガマの行列が通る。
風人も字石垣のアンガマに!

旧歓楽街・18番街が深夜の闇に近づくと、
風人のイキマブイが蠢きだす!
18番街の「スナックM」は異時空間への入り口。
鬼餅(ムーチー)の文章から
「寂れた夜の街に、よそ見をしていれば通り過ぎてしまうほど、小さな影を作っている。ビッチンヤマ御嶽の信仰は途切れ、名の由来すらわからなくなった。ただ、申し訳程度の朽ちた小さな社と、壁に塞がれて入り口の役目を失った鳥居が、かつてそこが島人が信仰していた森であったことを印すのみである。
「ビッチンヤマの信仰は廃れたが、恐れだけは残った。その通りを歩く者を神隠しにあわせてしまうという。近年生じたその伝説により、ますます人の足が遠ざかり、島の禁忌の象徴として、災いを纏った神域となりつつあった」
風人は夜の帳を彷徨う、
チーチーマーチュー、ターチーマーチューに会いたくて、
今日も18番街に向う。
「”オジーが今隠したのはなあに”
また声がしたので、兄弟は一目散に逃げ出した。そこでは、マブイを落とす術を模索中である郁子がビッチンヤマ御嶽を覗いていたのだった。郁子は禁域であろうが、墓場であろうが、自分の好奇心が価値があるとみなせば、向うみずにやってくる。・・・・・・・・・・
”何を隠したのかしら”・・・・・・・・・・
郁子が土を掘り返していると、背後の社から視線が粘着質に絡みついてきた。
”何だか気持ちが悪い場所ね”・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
隅に山積みになっていたはずのウチカビがなくなっていた。
”そんな。さっきまであったじゃない。後ろにだって香炉が・・・”
郁子がそう思った瞬間に、線香の煙が束になって背後から足元に漂ってきた。恐る恐る振り返ると、空だったはずの香炉に夥しい数の線香が赤々と燃えていた。夢でも見ているかのようなぽうとした光景だった。またひとつ、心臓が大きく膨らみ、ドクリと内側で破裂したかと思うと、すうと意識が抜けていった。」
「鬼餅(ムーチー)の日は日暮れは早く、遊び盛りの子供には物足りなく思える。嘘つきの霊感少女が街にある自宅に帰ろうと、ビッチンヤマ御嶽の前を通り過ぎる頃には、完全な夜になっていた。いつもは星明りほどに瞬いている寂れたネオンの他に、救急車のサイレンが一際輝いていた。駆け寄ってみると、幼い女の子が御嶽の森から担架で運ばれているところだった。精気を奪われたかのような蒼白な表情が印象的だった」
風人はスナックMの戸を開き、薄暗い湿った空気の中、
澱んだ視界に消えていく。
耳に入る夏川りみの童神のメロディー。
続く・・
2006年04月14日
「でいごの花の下に」池永陽を読む
”ふざけるんじゃない”
商業主義の小説だった!
「でいご」の語彙に騙されて、買って、
読むうちに吐き気がしてきた作品。
小説を読み出すと、最初の数ページだけでも、
沖縄観光キーワードの語彙が、
これでもかこれでもかと連綿と続く・・・
豚の頭(チラガー)、
海蛇(イラブー)、
毒蛇(ハブ)、
御嶽(ウタキ)、
魂(マブイ)、
サーターアンダギー、
模合(モアイ)、
市場(マチグワー)、
路地(スージ)、
沖縄用語の「バナナの叩き売り」オンパレードの羅列が続く・・・・
”吐き気”が襲ってきた・・・
どんな読者を釣ろうとしているのか??
池永陽は・・・・
薄っぺらな、
中身の空っぽな、
観光客が飛びつきそうな沖縄用語をちりばめて、
純粋な恋愛の物語を作ったつもりなのだろうか・・・
こんな小説が、喜ばれて読まれて、
空恐ろしい・・・・
「でいごの花の下に」
池永陽
集英社
”戦後60年、沖縄に咲いた切ない純白のラブストーリー」
1600円
商業主義の小説だった!
「でいご」の語彙に騙されて、買って、
読むうちに吐き気がしてきた作品。
小説を読み出すと、最初の数ページだけでも、
沖縄観光キーワードの語彙が、
これでもかこれでもかと連綿と続く・・・
豚の頭(チラガー)、
海蛇(イラブー)、
毒蛇(ハブ)、
御嶽(ウタキ)、
魂(マブイ)、
サーターアンダギー、
模合(モアイ)、
市場(マチグワー)、
路地(スージ)、
沖縄用語の「バナナの叩き売り」オンパレードの羅列が続く・・・・
”吐き気”が襲ってきた・・・
どんな読者を釣ろうとしているのか??
池永陽は・・・・
薄っぺらな、
中身の空っぽな、
観光客が飛びつきそうな沖縄用語をちりばめて、
純粋な恋愛の物語を作ったつもりなのだろうか・・・
こんな小説が、喜ばれて読まれて、
空恐ろしい・・・・
「でいごの花の下に」
池永陽
集英社
”戦後60年、沖縄に咲いた切ない純白のラブストーリー」
1600円
2006年04月12日
長堂英吉「海鳴り」を読む
1879年、「琉球処分」(旧琉球王国の廃藩置県)によって、
琉球は大日本帝国に名実とも編入させられ、
1889年、大日本帝国憲法発布、
1898年、琉球にも「徴兵制」が施行となる。
1903年、「人類館」事件が発生。
1910年、「本部徴兵署暴動事件(本部騒動)」へと・・・
本部事件とは、本部渡久地の徴兵検査場が、検査を受けにきた青年たちに襲われるという事件。
「海鳴り」は
1988年、同人誌夏季号に掲載し、
2001年、歴史小説短編集として出版。
作品「海鳴り」は沖縄本島北部で起こった「本部事件」を背景とした、
書簡体による作品です。
妻・真鶴の目を通して、
夫・宗森が巻き込まれた「本部事件」を、
淡々と生活の場から描ききる・・・
「あの人は官憲に責められても最後まで妻がやったとは申しませんでした。最後の最後まで私を庇い続けて参りました。巡査や憲兵からだけでなく、世間に対しても夫の指を切り落とした鬼女と後ろ指をささせることなく、生涯私を守り通してくれました。
あの人は世間でいわれているような反骨の人でも義人でもありませんでした。けれども最後の最後まで妻を守り通してくれた男の中の男でした。・・・・・・・・・・・・・・・・」
「その日、宗森は朝くらいうちに家を抜け出して、姉のモウシ、許婚の私、私の友人のマカらと連れ立って村のあがり(東)の御願所に詣でて不合格を祈願し、そのあと葬列のようにつれだって検査場にあてられた本部尋常小学校に向かいました。渡久地港の岸壁には薄紫の山センダンの花が風に散り、その上を5月のさわやかな雲が渡り、私達は鳴きしきる蝉の声を全身に浴びながら、そろそろ山藍の仕込みにでもかからねば、などと話し合っていました。
事件は私達がちょうど控え室あてられた小学校の講堂入り口にたどりついたときにおこったのでございます。」
遭遇した本部事件に巻き込まれ、
濡れ衣で逃げ惑う夫・宗森の、
逃避行が続きます・・・
清国福建省の「琉球館」にまで逃亡し、
理想郷の夢を打ち砕かれて戻ってきた夫・宗森を、
徴兵忌避の罪から逃れる最後の手段、
夫・宗森の右手の人差し指を切り落とす妻・真鶴・・・・
壮絶な逃避行の人生を、
淡々と、
しかし
しなやかに「生」を綿蜜なタッチで描ききる・・・
優しさと、
強靭さと、
併せ持つ秀作です・・・・・
心に染み入る作風に惚れました・・・
琉球は大日本帝国に名実とも編入させられ、
1889年、大日本帝国憲法発布、
1898年、琉球にも「徴兵制」が施行となる。
1903年、「人類館」事件が発生。
1910年、「本部徴兵署暴動事件(本部騒動)」へと・・・
本部事件とは、本部渡久地の徴兵検査場が、検査を受けにきた青年たちに襲われるという事件。
「海鳴り」は
1988年、同人誌夏季号に掲載し、
2001年、歴史小説短編集として出版。
作品「海鳴り」は沖縄本島北部で起こった「本部事件」を背景とした、
書簡体による作品です。
妻・真鶴の目を通して、
夫・宗森が巻き込まれた「本部事件」を、
淡々と生活の場から描ききる・・・
「あの人は官憲に責められても最後まで妻がやったとは申しませんでした。最後の最後まで私を庇い続けて参りました。巡査や憲兵からだけでなく、世間に対しても夫の指を切り落とした鬼女と後ろ指をささせることなく、生涯私を守り通してくれました。
あの人は世間でいわれているような反骨の人でも義人でもありませんでした。けれども最後の最後まで妻を守り通してくれた男の中の男でした。・・・・・・・・・・・・・・・・」
「その日、宗森は朝くらいうちに家を抜け出して、姉のモウシ、許婚の私、私の友人のマカらと連れ立って村のあがり(東)の御願所に詣でて不合格を祈願し、そのあと葬列のようにつれだって検査場にあてられた本部尋常小学校に向かいました。渡久地港の岸壁には薄紫の山センダンの花が風に散り、その上を5月のさわやかな雲が渡り、私達は鳴きしきる蝉の声を全身に浴びながら、そろそろ山藍の仕込みにでもかからねば、などと話し合っていました。
事件は私達がちょうど控え室あてられた小学校の講堂入り口にたどりついたときにおこったのでございます。」
遭遇した本部事件に巻き込まれ、
濡れ衣で逃げ惑う夫・宗森の、
逃避行が続きます・・・
清国福建省の「琉球館」にまで逃亡し、
理想郷の夢を打ち砕かれて戻ってきた夫・宗森を、
徴兵忌避の罪から逃れる最後の手段、
夫・宗森の右手の人差し指を切り落とす妻・真鶴・・・・
壮絶な逃避行の人生を、
淡々と、
しかし
しなやかに「生」を綿蜜なタッチで描ききる・・・
優しさと、
強靭さと、
併せ持つ秀作です・・・・・
心に染み入る作風に惚れました・・・
2006年04月06日
目取真俊、沖縄「戦後」ゼロ年を読む
沖縄文学の旗手、芥川賞作家・目取真俊を、久し振りに読んだ。
「戦後60年」の2005年、
鋭く問う「戦後」とは・・・・
”沖縄「戦後」ゼロ年”
2005.7.10出版
日本放送出版協会 生活人新書
「私にとっての沖縄戦」
「沖縄戦を小説で書くこと」
「基地問題」
沖縄戦は沖縄島の激戦地・中南部だけでなく、
故郷、北部・ヤンバルでの家族の戦争体験を追体験しながら、
「沖縄戦」とは、
沖縄「戦後」とは、
「基地」とは、
日本人とは、
沖縄人とは、
を、
”イジュの花が蝶の群れのように白く咲くヤンバル”から問う・・・・・
目取真さんは、
「平和通りと名付けられた街を歩いて」
http://plaza.rakuten.co.jp/kazebito/diary/200507020000/
「風音」
http://plaza.rakuten.co.jp/kazebito/diary/200408160000/
芥川賞作品「水滴」
http://plaza.rakuten.co.jp/kazebito/diary/200408170000/
等の作品に昇華した。
今も現在進行形で季刊誌「前夜」に連載中の、
「眼の奥の森」へと限りなく続く。。。
小説家の目取真俊、
政治的発言・行動の目取真俊、
どちらも表裏一体で目取真俊さんなんだと、
つくづく感じ入る
”沖縄「戦後」ゼロ年”の読後感でした!
「戦後60年」の2005年、
鋭く問う「戦後」とは・・・・
”沖縄「戦後」ゼロ年”
2005.7.10出版
日本放送出版協会 生活人新書
「私にとっての沖縄戦」
「沖縄戦を小説で書くこと」
「基地問題」
沖縄戦は沖縄島の激戦地・中南部だけでなく、
故郷、北部・ヤンバルでの家族の戦争体験を追体験しながら、
「沖縄戦」とは、
沖縄「戦後」とは、
「基地」とは、
日本人とは、
沖縄人とは、
を、
”イジュの花が蝶の群れのように白く咲くヤンバル”から問う・・・・・
目取真さんは、
「平和通りと名付けられた街を歩いて」
http://plaza.rakuten.co.jp/kazebito/diary/200507020000/
「風音」
http://plaza.rakuten.co.jp/kazebito/diary/200408160000/
芥川賞作品「水滴」
http://plaza.rakuten.co.jp/kazebito/diary/200408170000/
等の作品に昇華した。
今も現在進行形で季刊誌「前夜」に連載中の、
「眼の奥の森」へと限りなく続く。。。
小説家の目取真俊、
政治的発言・行動の目取真俊、
どちらも表裏一体で目取真俊さんなんだと、
つくづく感じ入る
”沖縄「戦後」ゼロ年”の読後感でした!
2006年01月22日
知念正真の戯曲「人類館」を読む
沖縄海洋博覧会が開催され、
皇太子来沖火炎ビン事件があった1975年。
翌年の1976年、
新沖縄文学に知念正真の「人類館」が発表となる。
翌年1977年、「テアトロ」に転載され、
劇団「創造」によって、沖縄県内外で上映され、
演劇界の芥川賞、「岸田戯曲賞」を1978年受賞した。
戯曲「人類館」は、
調教師ふうな男、
陳列された男、
陳列された女、
の登場人物が、
それぞれ場面場面で変身を繰り返しながら、
ウチナーヤマトグチで展開される。
劇中で繰り返される滑稽で、居た堪れないほどの、
突き抜けるアジテーション!
調教師ふうな男が、鞭を一振りすると、
舞台が明るくなる。
調教師 お待たせいたしました。こちらが琉球館でございます。琉球の原始的住民は、アイヌ系のアマミキヨ種族でございます。その昔、西南フィリピン諸島、台湾方面から北上して来た種族と、九州、奄美大島方面から南下してきた種族が、混合、調和することによって成立したものであります。
調教師ふうな男は、陳列されている男に近づき、
鞭で顎をしゃくりあげる。
男はふてくされているようにも見え、
妙に従順に見えなくもない。
調教師 ご覧下さい。まず最初の特徴は、このように顔が四角で鼻が異常に大きく、横に広がっているという事であります。俗に言う獅子っ鼻。これが非常に多い。
男は大勢の視線を支えきれず下を向いてしまう。
すると突然、調教師風な男の鞭が鋭く唸り、
男はあわてて姿勢を正す。
調教師 眼をご覧頂きたい。およそこの男のこの顔には不釣合なくっきりと大きな腺病質な眼、まるで神経症病みのような、おどおどした眼、これも一つの特徴でございます。こいつのように顔が四角で、顎のエラが張っているのを琉球の言葉で・・・・、
(詰まる。と、男に眼で促す)
陳列された男 (ボソッと)ハブカクジャー・・・・。
調教師 ハブカクジャーと申します。ハブというのは琉球に棲む毒蛇のことですね。毒蛇の顎という意味でございます。
作品は徹底的に、政治的不条理さを、
アジテーションし続ける・・・
この激しさは何処から来るのか・・・
知念正真はいう。
「なんと沖縄の歴史の、暗く、やるせないことか。救いようもない惰民の、被虐の歴史の、際限のない連鎖。中でも「人類館事件」の荒唐無稽。人間が人間を見世物にしたという、信じがたい事実。ここまで来れば、もう怒りを通り越して、笑うしかない。私はこの「人類館」をモチーフに、沖縄の近・現代を網羅した芝居を書こうと思い立った」
戯曲「人類館」は、
善きにつけ、
悪しきにつけ、
文学の地平から、撃った、
最も先鋭的なアジテーションの文学ではないだろうか。
2006年01月20日
吉田スエ子「嘉間良心中」を読む
「嘉間良(かまーら)心中」は、1984年の作品です。
丁度、石原慎太郎が「秘祭」を発表した年。
既にベトナム戦争も終わり、
基地の街”コザ”は、
ベトナム景気の喧騒も過ぎ去っていた。
”コザ”の匂いが
”コザ”の街を象徴した「センター通り」は、
「中央パークアベニュー」に生まれ変わり、
東南アジアの出身の女性たちが目立つ、
街に変貌しつつあった時代。
サミーが現れたのは午前0時近かった。そろそろ帰ろうかと思案し始めたころだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
まるで高校生のような少年兵だった。
「テン・ダラー」
キヨは声をかけた。
「ファイブ・ダラー」
少年兵がすぐに答えた。
(たった千円ぼっちりで女が抱けると思っているのかい)
キヨは腹が立った。
が、まだあどけなさの抜けきらぬ幼い顔になんとなく気持ちが和んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センター通りのホテルの前を素通りして、嘉間良のアパートにつれて来た。部屋に入ると
「ファイブ・ダラー」
と手を出した。
サミーはズボンのポケットからよれよれの5ドル紙幣を出すとキヨの手のひらにのせた。
「ほんとにもうないの」
「ほんとうだ。これが最後のお金なんだ」
「それじゃ、帰りのタクシーはどうするの」
「おれはコーター(兵舎)にはもう帰らない」
「帰らないって・・・どういう意味なの」
「おれは脱走兵なんだ」
既に女の盛りを過ぎた売春婦「キヨ」と、
18歳の少年脱走兵「サミー」の、
やるせなく猥雑な交接でありながら、
商売女の儚い秘愛の物語を織り紡ぐ。
「サミー、わたしと一緒に逃げよう。私の島へ行くのよ。あそこなら誰にも見つかりっこないわ。島には空き家がいくつもあるわ」
「君のいっていたツケンジマかい」
「そう。誰も住んでない家がいっぱいあるのよ。古い家だけど庭も畑もあるわ。わたし、庭の草を刈るわ。あんたは壊れた雨戸や床板をなおしてちょうだい」
サミーは目をつぶり、だがはっきりと首を横に振った。
「つかまったら本国に送られるんでしょう。それでも行くっていうの」
「いいんだ。もうすべて終わったんだよ」
サミーは自分にいいきかせるようにつぶやいてキヨに背をむけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
洋服ダンスを開けた。派手なピンクのワンピースをとり出しかけてやめた。なんだか急に和服が着てみたくなった。タンスの底にしまってある久米島紬をとり出してしばらくぼんやりみつめた。・・・・・・
鏡の前で帯をしめおわると丹念に化粧をした。立ち上がって窓を閉めた。内鍵を入れると遠くで雷のようなエンジン調整の噴射の音がした。ドアの鍵前を確かめて台所に入るとプロパンガスのコックをあけた。
58歳の娼婦「キヨ」の憐れな最後・・・・
”コザ”特飲街のすぐ裏手”嘉間良(かまーら)”を、
一瞬の風が通り抜けた・・・・
「キヨ」が棄て去ったはずの、
”生まれ島・ツケンジマ(津賢島)”
”かまーら”の風となって、
故郷・ツケンジマへ向う・・・・
丁度、石原慎太郎が「秘祭」を発表した年。
既にベトナム戦争も終わり、
基地の街”コザ”は、
ベトナム景気の喧騒も過ぎ去っていた。
”コザ”の匂いが
”コザ”の街を象徴した「センター通り」は、
「中央パークアベニュー」に生まれ変わり、
東南アジアの出身の女性たちが目立つ、
街に変貌しつつあった時代。
サミーが現れたのは午前0時近かった。そろそろ帰ろうかと思案し始めたころだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
まるで高校生のような少年兵だった。
「テン・ダラー」
キヨは声をかけた。
「ファイブ・ダラー」
少年兵がすぐに答えた。
(たった千円ぼっちりで女が抱けると思っているのかい)
キヨは腹が立った。
が、まだあどけなさの抜けきらぬ幼い顔になんとなく気持ちが和んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
センター通りのホテルの前を素通りして、嘉間良のアパートにつれて来た。部屋に入ると
「ファイブ・ダラー」
と手を出した。
サミーはズボンのポケットからよれよれの5ドル紙幣を出すとキヨの手のひらにのせた。
「ほんとにもうないの」
「ほんとうだ。これが最後のお金なんだ」
「それじゃ、帰りのタクシーはどうするの」
「おれはコーター(兵舎)にはもう帰らない」
「帰らないって・・・どういう意味なの」
「おれは脱走兵なんだ」
既に女の盛りを過ぎた売春婦「キヨ」と、
18歳の少年脱走兵「サミー」の、
やるせなく猥雑な交接でありながら、
商売女の儚い秘愛の物語を織り紡ぐ。
「サミー、わたしと一緒に逃げよう。私の島へ行くのよ。あそこなら誰にも見つかりっこないわ。島には空き家がいくつもあるわ」
「君のいっていたツケンジマかい」
「そう。誰も住んでない家がいっぱいあるのよ。古い家だけど庭も畑もあるわ。わたし、庭の草を刈るわ。あんたは壊れた雨戸や床板をなおしてちょうだい」
サミーは目をつぶり、だがはっきりと首を横に振った。
「つかまったら本国に送られるんでしょう。それでも行くっていうの」
「いいんだ。もうすべて終わったんだよ」
サミーは自分にいいきかせるようにつぶやいてキヨに背をむけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
洋服ダンスを開けた。派手なピンクのワンピースをとり出しかけてやめた。なんだか急に和服が着てみたくなった。タンスの底にしまってある久米島紬をとり出してしばらくぼんやりみつめた。・・・・・・
鏡の前で帯をしめおわると丹念に化粧をした。立ち上がって窓を閉めた。内鍵を入れると遠くで雷のようなエンジン調整の噴射の音がした。ドアの鍵前を確かめて台所に入るとプロパンガスのコックをあけた。
58歳の娼婦「キヨ」の憐れな最後・・・・
”コザ”特飲街のすぐ裏手”嘉間良(かまーら)”を、
一瞬の風が通り抜けた・・・・
「キヨ」が棄て去ったはずの、
”生まれ島・ツケンジマ(津賢島)”
”かまーら”の風となって、
故郷・ツケンジマへ向う・・・・
2006年01月17日
久志富佐子の「滅びゆく琉球女の手記」を読む
「滅びゆく琉球女の手記」は1932年「婦人公論」に掲載。
日本は前年の1931年9月満州事変があり、
当年1932年、あの「5.15事件」のあった年である。
連載第1回「滅びゆく琉球女の手記」は、
発表されると直ぐに、
在京の「沖縄県学生会」や「沖縄県人会」から、
内容に関する謝罪の抗議が殺到した。
その結果、「謝罪」ではなく「釈明分」を掲載し、
「滅びゆく琉球女の手記」の第2回以降の掲載を中止。
また、久志は文壇から完全に離れることとなった。
友達は母を此方へ呼んで、大島紬の商売でもやりたいと思ふけれど、あの”いれずみ”がねエーと思案顔だった。”いれずみ”ではどの家庭も困らされた。稼ぎためた金で、息子を幾人も高等教育受けさせたところで、母は手の甲にしみついた”いれずみ”の為に、死ぬまで故郷に置き去らねばならなかった。ひどいのになると、孫の顔も知らずに死んでしまふのである。息子達が出世すればするほど、その母はこの故郷といふほんの少し自由のきく座敷牢の中に僅かなあてがひぶちで押し込まれねばならないのだ。・・・・・
叔父が帰省したのはさういふ生活の中にであった。
彼はその家に寝起きするのを嫌って、いくらかましな私の家へ寝泊りした。
二間間口の傾いた店と、六畳一間の間取りだったが、私が小学校教師で田舎に行っていたので、その一間は、どうにか叔父の為に役立てることが出来た。母は彼を伴って、親類廻りに出向いたが、何処も此処も、あか茶けてぶくぶくした畳と、欠けた湯呑み茶碗が、彼を待ち受けていた。そして話といへば、梅雨期のやうにじめついたおしひしがれた民族の歎声ばかりだった。石垣は崩れ、ぺんぺん草が生え、老人ばかりがむやみと多かった。彼はその悲惨な故郷の有様に胸を打たれるよりもまづうんざりしてしまったらしい。
・・・・・・・・・・
そして別れ際に、かういひすてるのだった。
「僕の籍はね、×県へ移してありますから、実は、誰も此方の者だってこと知らないのです。」
・・・・・・・・・・
妾(わたし)は叔父の帰省したことも、出発した事も知らずにいた。
・・・・・・・・・・
小学校を了へただけの叔父が、苦労で築き上げた事業を守るために、小細工を弄する心情は、妾(わたし)には如何にも憐れに思はれた。母の住む街から、就職先の村へ帰る途すがら、汚れた幌馬車の中でゆられるままに、何かなし「滅びゆく孤島」といふ想いをしみじみ考えさせられた。
夕暮れの風景は、この島の持つ感情そのものだった。見るからに、痩せたごろごろの土に甘藷のかづらが這ひ、あとはひょろ長い甘藷の林と、赤松の並木、そてつの群生、おやじの顎鬚みたいに白くさんさんと垂れ下がるガチマルの気根、赤く大きくゆれながら丘陵の彼方へ沈みゆく夕日没落の美が、ひたひたと潮のやうに妾(わたし)の胸にしみ渡った。
・・・・・・・・・・・・
「滅びゆく琉球女の手記」は、
何という、
連綿とした、
鬱積した吐露・・・・
これでもか!
これでもか!!
と繰り返す、
執拗な妾(わたし)自身の中に巣食う何物か・・・・
気が遠くなるような「嘔吐」の後の、
読後感・・・・・・
やり蹴れない不条理の悲しみ・・・
「手記」は第1回で中断し、
「釈明文」以降、
永遠に闇に葬られた・・・
日本は前年の1931年9月満州事変があり、
当年1932年、あの「5.15事件」のあった年である。
連載第1回「滅びゆく琉球女の手記」は、
発表されると直ぐに、
在京の「沖縄県学生会」や「沖縄県人会」から、
内容に関する謝罪の抗議が殺到した。
その結果、「謝罪」ではなく「釈明分」を掲載し、
「滅びゆく琉球女の手記」の第2回以降の掲載を中止。
また、久志は文壇から完全に離れることとなった。
友達は母を此方へ呼んで、大島紬の商売でもやりたいと思ふけれど、あの”いれずみ”がねエーと思案顔だった。”いれずみ”ではどの家庭も困らされた。稼ぎためた金で、息子を幾人も高等教育受けさせたところで、母は手の甲にしみついた”いれずみ”の為に、死ぬまで故郷に置き去らねばならなかった。ひどいのになると、孫の顔も知らずに死んでしまふのである。息子達が出世すればするほど、その母はこの故郷といふほんの少し自由のきく座敷牢の中に僅かなあてがひぶちで押し込まれねばならないのだ。・・・・・
叔父が帰省したのはさういふ生活の中にであった。
彼はその家に寝起きするのを嫌って、いくらかましな私の家へ寝泊りした。
二間間口の傾いた店と、六畳一間の間取りだったが、私が小学校教師で田舎に行っていたので、その一間は、どうにか叔父の為に役立てることが出来た。母は彼を伴って、親類廻りに出向いたが、何処も此処も、あか茶けてぶくぶくした畳と、欠けた湯呑み茶碗が、彼を待ち受けていた。そして話といへば、梅雨期のやうにじめついたおしひしがれた民族の歎声ばかりだった。石垣は崩れ、ぺんぺん草が生え、老人ばかりがむやみと多かった。彼はその悲惨な故郷の有様に胸を打たれるよりもまづうんざりしてしまったらしい。
・・・・・・・・・・
そして別れ際に、かういひすてるのだった。
「僕の籍はね、×県へ移してありますから、実は、誰も此方の者だってこと知らないのです。」
・・・・・・・・・・
妾(わたし)は叔父の帰省したことも、出発した事も知らずにいた。
・・・・・・・・・・
小学校を了へただけの叔父が、苦労で築き上げた事業を守るために、小細工を弄する心情は、妾(わたし)には如何にも憐れに思はれた。母の住む街から、就職先の村へ帰る途すがら、汚れた幌馬車の中でゆられるままに、何かなし「滅びゆく孤島」といふ想いをしみじみ考えさせられた。
夕暮れの風景は、この島の持つ感情そのものだった。見るからに、痩せたごろごろの土に甘藷のかづらが這ひ、あとはひょろ長い甘藷の林と、赤松の並木、そてつの群生、おやじの顎鬚みたいに白くさんさんと垂れ下がるガチマルの気根、赤く大きくゆれながら丘陵の彼方へ沈みゆく夕日没落の美が、ひたひたと潮のやうに妾(わたし)の胸にしみ渡った。
・・・・・・・・・・・・
「滅びゆく琉球女の手記」は、
何という、
連綿とした、
鬱積した吐露・・・・
これでもか!
これでもか!!
と繰り返す、
執拗な妾(わたし)自身の中に巣食う何物か・・・・
気が遠くなるような「嘔吐」の後の、
読後感・・・・・・
やり蹴れない不条理の悲しみ・・・
「手記」は第1回で中断し、
「釈明文」以降、
永遠に闇に葬られた・・・
2006年01月16日
東峰夫の「オキナワの少年」を読む
ぼくが寝ているとね、
「つね、つねよし、起(う)きれ、起きらんな!」
と、おっかあがゆすりおこすんだよ。
「ううん・・・何(ぬ)やがよ・・・」
目をもみながら、毛布から首を出しておっかあを見上げると、
「あのよ・・・」
そういっておっかあはニッと笑っとる顔をちかづけて、賺(すか)すかのごとくにいうんだ。
「あのよ!ミチコー達(たあ)が兵隊(ひいたい)つかめえたしがよ、ベッドが足らん困(くま)っておるもん、つねよしがベッドいっとき貸らちょかんな?な?ほんの十五分ぐらいやことよ」
ええっ?と、ぼくはおどろかされたけれど、すぐに嫌な気持が胸に走って声をあげてしまった。
「べろやあ!」
うちでアメリカ兵相手の飲屋をはじめたがために、ベッドを貸さなければならないこともあるとは・・・思いもよらないことだったんだ。
東峰夫の「オキナワの少年」の舞台は”コザ”の町である。
1950年代前半の”コザ”が「つねよし少年」の目を通して、
描かれる・・・
全国で唯一のカタカナ市名”コザ”が、
見事に浮かび上がり、米軍統治下を物語る・・・
一本の軍用道路にしがみついているコザの町全部が見下ろせる!どの店にも大きな看板がたてられて、前をかざってうしろを隠しているけれど、ここからはまる見えじゃないか!
さびたトタン屋根やすすくった瓦屋根の間に、ものほし台や便所や、煙突や水タンクがゴチャゴチャして、ぼくは恥ずかしい部分をみてるような気がして、チョオッと嘲(あざけ)りたくなっていた。
この風景は、
風来坊が少年時代に岩国基地の町で見た記憶の中の風景と同質かも・・・
まなつの、真夏の太陽が、なんにもさえぎるもののない空から、まっすぐに滑走路のうえを照らしていたよ。
なんにもない、わらくずひとつ落ちていない、ひともいない、ただひろいだけのアスファルトの滑走路は、グラグラとした熱気がゆらめいて、ずっと、ずうっと向う、はしっこの青小森が蜃気楼のようにゆれていた。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
そうだ、陽炎にもえて目もくらむばかりに熱いこの滑走路のしたには、おじいの畑があるんだった。
つねよし少年はコザの町を出ようと決意する・・・
無謀と思える台風の中での船出・・・
風にわきたつ波頭からふきちぎられた潮は、雨のようにあたりいちめんにふりかかっていた。しおっぽいしぶきとなって・・・。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
桟橋の上でもたつことができなかった。たてばひとたまりもなく吹飛ばされて、わきたつ海にころがし落とされそうだった。あせりながらもそのままよつんばいになって、はしごをのぼるような格好でむかっていった。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
(やったぞ、ついに忍び込んでやったぞ!さあ、吹きあれろ!もっと吹きあれろ!そうして強い吹き返しになってやってこい!)
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
ナイフを握りしめてうずくまっていると、ヨットの底をドッドッドッドと潮がぶちあたり、ゆすりあげ、流れさっていくのがわかったよ。それは足に伝わって、ぼくの体の芯にもつきあげてきて、フッフッフッフとするようなはげしい武者震いとなってつつみこんできた。
オキナワの少年は、
現実を否定して、
何処へ行く!!!
それは”幻想の中の琉球弧”への船出なのだろうか・・・・
「つね、つねよし、起(う)きれ、起きらんな!」
と、おっかあがゆすりおこすんだよ。
「ううん・・・何(ぬ)やがよ・・・」
目をもみながら、毛布から首を出しておっかあを見上げると、
「あのよ・・・」
そういっておっかあはニッと笑っとる顔をちかづけて、賺(すか)すかのごとくにいうんだ。
「あのよ!ミチコー達(たあ)が兵隊(ひいたい)つかめえたしがよ、ベッドが足らん困(くま)っておるもん、つねよしがベッドいっとき貸らちょかんな?な?ほんの十五分ぐらいやことよ」
ええっ?と、ぼくはおどろかされたけれど、すぐに嫌な気持が胸に走って声をあげてしまった。
「べろやあ!」
うちでアメリカ兵相手の飲屋をはじめたがために、ベッドを貸さなければならないこともあるとは・・・思いもよらないことだったんだ。
東峰夫の「オキナワの少年」の舞台は”コザ”の町である。
1950年代前半の”コザ”が「つねよし少年」の目を通して、
描かれる・・・
全国で唯一のカタカナ市名”コザ”が、
見事に浮かび上がり、米軍統治下を物語る・・・
一本の軍用道路にしがみついているコザの町全部が見下ろせる!どの店にも大きな看板がたてられて、前をかざってうしろを隠しているけれど、ここからはまる見えじゃないか!
さびたトタン屋根やすすくった瓦屋根の間に、ものほし台や便所や、煙突や水タンクがゴチャゴチャして、ぼくは恥ずかしい部分をみてるような気がして、チョオッと嘲(あざけ)りたくなっていた。
この風景は、
風来坊が少年時代に岩国基地の町で見た記憶の中の風景と同質かも・・・
まなつの、真夏の太陽が、なんにもさえぎるもののない空から、まっすぐに滑走路のうえを照らしていたよ。
なんにもない、わらくずひとつ落ちていない、ひともいない、ただひろいだけのアスファルトの滑走路は、グラグラとした熱気がゆらめいて、ずっと、ずうっと向う、はしっこの青小森が蜃気楼のようにゆれていた。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
そうだ、陽炎にもえて目もくらむばかりに熱いこの滑走路のしたには、おじいの畑があるんだった。
つねよし少年はコザの町を出ようと決意する・・・
無謀と思える台風の中での船出・・・
風にわきたつ波頭からふきちぎられた潮は、雨のようにあたりいちめんにふりかかっていた。しおっぽいしぶきとなって・・・。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
桟橋の上でもたつことができなかった。たてばひとたまりもなく吹飛ばされて、わきたつ海にころがし落とされそうだった。あせりながらもそのままよつんばいになって、はしごをのぼるような格好でむかっていった。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
(やったぞ、ついに忍び込んでやったぞ!さあ、吹きあれろ!もっと吹きあれろ!そうして強い吹き返しになってやってこい!)
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
ナイフを握りしめてうずくまっていると、ヨットの底をドッドッドッドと潮がぶちあたり、ゆすりあげ、流れさっていくのがわかったよ。それは足に伝わって、ぼくの体の芯にもつきあげてきて、フッフッフッフとするようなはげしい武者震いとなってつつみこんできた。
オキナワの少年は、
現実を否定して、
何処へ行く!!!
それは”幻想の中の琉球弧”への船出なのだろうか・・・・


